左遷や妻の死にもめげず、愛でられし大宰府の梅。 …万葉の名歌(105)(106)(107)。  素浪人の『万葉集漫談』(272話)

藤原四兄弟による長屋王抹殺計画の前段階として、長屋王に近い皇親派の大伴旅人は728年から遠く九州に左遷されたという説が強い。
729年に長屋王は自害させられ、この問題で何の口出しもできなかった大伴旅人はこの年、病気で最愛の妻まで失うことになります。
事件後、藤原氏は一族の光明子を光明皇后とし、長男の藤原武智麻呂が大納言になって、いよいよ藤原時代への船出を目指します。

そうした不遇、不運の中でも大伴旅人は、730年(天平2)正月、九州管内から参上した部下たちと、宴を開きます。 折しも旅人の邸には、梅の花が咲き綻んでいました。
巻五には、「梅花の歌32首」