皇権を取り戻そうと、討幕を企てた後鳥羽上皇が失敗し、隠岐の島に流されたのは、承久3年(1221)のことでした。
荒涼とした寂寥の地で流人としてその生涯を閉じるのですが、自らの悲運、逆境に落ち込むことなく、王者の矜持を高く持ち続けました。
・ われこそは新島守(ニヒジマモリ)りよ隠岐(オキ)の海の荒き波風心して吹け
増鏡・後鳥羽院御集 後鳥羽院
われこそは、この島に新しくやって来た島守であるぞ。隠岐の海の荒々しい波風よ、そのことをよ〜く心に留めて、過ちなきよう、穏やかに吹け!
という歌を、この逆境の中で詠まれています。