薩摩藩外城の都市「知覧」

江戸時代、各藩は一国一城の取り決めが行き渡り、藩主が住むところの武家の殆どが集められていました。藩士は武士であると同時に急速に官僚化してゆきましたが、薩摩藩では士族の数が多く、多くの氏族は外城という地方行政区域の中心部に集められ、その地域の行政と生活の為の農業に従事しました。

 その外城を中心として出来た都市が知覧です。武家屋敷と云えば萩・・・、どういう分けか世界遺産の「明治の産業革命遺産?」に勧告を受けたようですが・・・、こちらは白壁の家並みなのですが、こちらは生垣の家並み・・・、良いですね!本当に良いです!・・・この日は、フランスからの観光客の人々