宗教の先生は

親鸞聖人や妙好人のことばを持ってきて、
ここに至ったんだという内容の日記を書いたのだが、
それは悟りでもなんでもないということに気づいた。

嫉妬心や競争心
ありとあらゆることは神からくるので
放っておいていいんだということは
真理かもしれないが、

それを得た自分の中に
ある思いが見つかった。

「このままでおたすけ」
という真理の言葉を取り入れて、
安らかになろうとしていたのではないだろうか
というもの。

偉いお坊さんの言葉を
自分の欲望の満足のための道具にしていたのだ。

どこまで行っても
「安穏」を求めたくて仕方ない
自分の浅ましさが浮かび上が