日記アクセスと心さびしさ >心理学


アクセス多いと、心さびしさが紛れるのでは。
多くの人が見てくれた、と思うから。

例えていえば、中学時代の教室内で多くのクラスメートと挨拶かわすようなもの。
特に親しい仲ではないが、ともかく人との接触あれば寂しさも薄れる。
日記のアクセスは、そのような接触の擬似体験といえよう。

逆に、アクセス数が少ないとは、教室内で挨拶しても、返事する仲間があまりいないようなもの。
物足りぬ。少し、あるいは大いに心さびしい。

さてここで、日記の2極性がでる-あえて2極に分けてみれば。
心さびしい人の日記と寂しくない人の日記。
心さびしい人の日記は、アクセス数あげん