人生が変わって居たかも。

昭和20年春、

戦争たけなわ、小学生だった私は、学童集団疎開で栃木県の川治温泉から、3月の中学受験のため、2月3日に同級生と共に帰京した。

疎開先では受験勉強らしい勉強も出来ず、私としては、自宅近くの明治学院を受験するつもりだった。
そんな希望を両親に告げてはいたのだが、担任の教師と両親との間で、私の実力ならここが良かろうと青学に願書を出したと言う事だった。
兄は努力家で、当時の都立1中の進んでおり、私は公立校が好きではなかった。ただ、青学の事は自分の中で認識が薄く、元青山師範かとぐらいにしか考えていなかった。

結局、両親が進めた青学で、中学部から