連載:京都の歴史

瞼の父に再会した「イネ」の絶望

来日して長崎に私塾「鳴滝塾」を開いたドイツ人・シーボルトは、日本とオランダの架け橋として貢献したといわれます。

 高野長英・小関三英ら多くの日本人医師は、シーボルトから医学を学びました。長英らは蘭方医と呼ばれました。

 やがて一時帰国することになったシーボルトの荷物に、日本の地図などの持ちだし禁制品が発見されたのです。

 これをシーボルト事件といいます。多くの日本人が処分されました。死罪になった人もいます。シーボルトは国外追放になりました。

 長崎滞在中に遊女の瀧に生ませたのがイネ(稲)という女児でした。

 イネは追放された父の顔を知りませんが