「早慶戦物語」⑦三原・水原の時代その4

今回は三原の早稲田野球部との決別とプロ野球発足構想に伴う第1号契約選手となるまでとする。

早慶戦での劇的なホームスチールから2年余りが経過した昭和8年秋三原は野球部を退部した。理由は三原自身の著書によれば監督の大下から妻帯の事実を問われて、自ら退部届を提出したとなっている。この年の秋のリーグ戦開始前の退部である。

三原はホームスチールの翌年、「初台小町」と早稲田の学生を騒がせた美女と恋仲になり、三原の実家の事情が要因で結婚した。しかし早稲田野球部の規則では部員の妻帯は固く禁じられていた。高松の地元紙では「早稲田の三原、恋のホームスチール」などと報道さ