「早慶戦物語」⑥三原・水原の時代その3

今回は早稲田入学後の三原脩について書いてみた。三原は後日「風雲児」、「知将」、「魔術師」などの名をほしいままにしたが、その原点は今日の投稿「ホームスチール」にあった。

昭和4年早稲田野球部に入部した三原は打撃が弱く、控えの内野に甘んじた。秋には左翼手にコンバートされ春・秋通算で出場は僅か5試合のみだった。翌昭和5年三原は二塁手の定位置を確保、俊足好打の内野手として注目されるようになった。

昭和6年春の早慶戦で三原は球史にその名を刻むプレーを行った。慶応先勝の第二戦、2対2の同点で迎えた七回表、2死満塁からホームスチールを敢行した。慶応の投手は水原だっ