能登半島を回る

< 禄剛崎 > 10:15着。
ここは、外浦と内浦の接点にあたる。朝日と夕日が同じ地点から眺められる。佐渡も天気の良い日には見えるとあった。
明治16年(1883年)、英国の技師が、禄剛崎灯台を設計した。当時は、灯油で発光し、灯台の明かりにしたという。昭和15年、電化し、海上34kmまで見えるようになった。江戸期には、山伏山の山腹に、尺四方の行燈を置き、毎夜灯火したという。昭和38年までは、灯台守がいたが、今は無人。公園の草刈りをしている人の話によれば、灯台守は夫婦者が灯台に入り、3組いて、交代で勤務にあたったという。「♪、おいら岬の、灯台守は、妻と二人