「死が当たり前のところにいると
病気までもが愛おしい」
と前の日記に書いたのだが、
これについて、
以前ある真宗の住職の方から聞いたことと
照らし合わせてみた。
聞いたことというのは、
そうした感覚は
無常の理解の上に成り立っているということだ。
自分では無常がなかなか理解できずにいたので
不思議だったのだが、
「病気までもが愛おしい」
という感覚を持つことができるというのは、
すでに無常が理解できているからだというのだ。
無常というのは、
「この世のありとあらゆる事柄は
常に移り変わっている」ということで、
生れ出た生命は死へ向かって突き進ん