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よくあるご質問

黄葉の名残り・・・大学町コインブラ

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ヨーロッパ最古の大学の一つコインブラ大学が建つコインブラの旧市街はモンデーゴ川の北岸の高台にあった。「コインブラ大学とアルタとソフィア」として世界遺産に登録されている。高台の一番上にコインブラ大学の古い校舎が建って居た。ここに初めて学んだ日本人はベルナルドという青年だった。彼の日本名は残されていない。フランシスコ・ザビエルが日本からインドのゴアに帰るのに同行し、そこからポルトガル船に乗って、1553年、日本人として初めてヨーロッパへ渡ったのだ。ローマを訪れたのちに、コインブラ大学に学んでいたが、惜しくもこの地で客死したという。天正少年遣欧使節一行がコインブラへ来たのは、かれらのローマ訪問の後、1585年のクリスマスの2日前だった(三浦哲郎『少年讃歌による)。町を挙げての大歓迎の中、モンデーゴ川に架かるサンタ・クララ橋を渡って到着した。翌年1月9日まで滞在。大学訪問は年が明けてからだった。彼等が日本を出て居る間に日本の情勢が激変していた。キリシタンに好意的だった信長が本能寺で最期をとげ、次の天下人・秀吉によってバテレン追放令そして禁教令がだされて、帰国後の少年使節一行には過酷な運命が待ち構えていたのだ。

 我々は最初に大学を訪ねた。歴史ある建物が大学らしい雰囲気を醸し出していた。広い中庭に、ジョアン3世の大きな像が建って居た。ジョアン3世はフランシスコ・ザビエルを東アジアに派遣した国王だ。高い鐘楼から時を告げる鐘が鳴った。図書館が有名だが、予約が必要ということで、見学できなかった。木下杢太郎(本名・太田正雄)が大正13年にここの図書館へ2日間調べ物をしたことを記している。

 大学から石畳の坂道を下っていくと大聖堂の横を通り、ポルタジェン広場まで歩き、自由時間になった。私はサンタ・クララ橋の上に出て旧市街の丘を見上げ、モンデーゴの噴水を眺め、マヌエル・ブラガ公園を散策した。樹木はすっかり葉を落としたものが多かったが、まだ紅葉の名残をとどめる樹木も多かった。2年前のロシアの10月のような具合だと感じた。日本と違って広場・公園にトイレがなかった。お菓子屋さんでコンフェイトを買って、そこのトイレを使わせてもらった、コンフェイトは日本に伝わって金平糖となったもので、よく似て居た。

 下の写真
1:コインブラ大学の回廊
2:コインブラの黄葉
3;モンデーゴ川の噴水

カテゴリ:旅行・お出かけ

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