今年2018年の大晦日もほどなく終わる。早い。年ごとに益々速まってくる感じだ。
wakohは、昭和時代には、元号と西暦年号を共に使っていた。生まれたのが昭和6年(1931年)。子ども時代を昭和で過ごしていたから、何となく馴染みがあった。敗戦までは皇紀が一般的だった。例えば、小学校3年生の時、昭和15年だったが、皇紀2600年を祝賀したりしたものだ。「今こそ祝え、このあした。紀元は2600年。ああ一億の鐘は鳴る♪」と歌ったりしたものだった。
敗戦とともに、天照大神、天孫降臨、と言った神話と日本歴史が混濁していることなどが指摘されるようになると、皇紀はお
連載:趣味人倶楽部・日記