天正伊賀の乱 第一次の「後半」です。

天正伊賀の乱 第一次の「後半」です。
前回は、第一次天正伊賀の乱の「前半」でした。今回は、第一次の「後半」をお話したいと思います。
北畠信雄(のぶかつ)は、伊賀勢の底力を過小評価していたのは間違いないと思います。
以下、「後半」です。

信雄(のぶかつ)は、憤激し、血気にはやり、父 信長に相談もせず、翌、天正7年6月、配下の兵を3軍に分けて
伊勢から伊賀に押し寄せる。

伊賀への攻め口を北から順に述べると、
信雄(のぶかつ)の本隊8千が、阿波口の長野峠(伊賀街道)、
長野左京太夫の1千3百が、伊勢地口の青山峠(初瀬街道、国道165号線)、
柘植(つげ)三