「天正伊賀の乱」の日記一覧

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第二次天正伊賀の乱 後半その1

第二次天正伊賀の乱 後半その1 前回、前半のつづきです。 伊賀から信長に内通した土豪が二名いた。上柘植(つげ)城主、福地伊予守定成(1500石)と、 河合郷玉滝(阿山町)の地頭、耳須弥次郎具明である。 二人は、信長の武将、滝川一益を通じて信長に内通し、事前に伊賀から安土へ行き、「天主閣」の客間において信長に拝謁した。 伊賀へ侵攻の時、福地伊予は、柘植口において、耳須弥次郎は、玉滝口において、…

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第2次天正伊賀の乱 前半

第2次天正伊賀の乱 前半 前回、第1次天正伊賀の乱、のつづきです。 再び、中 貞夫さんの著書から引用させていただきます。中さんの、天正の乱、に関する記述は、主に、菊岡如幻の「伊乱記」に書かれた内容を元にしておられるようです。 ------------------------------------------------------------------------------- 天正9年(…

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天正伊賀の乱 第一次の「後半」です。

天正伊賀の乱 第一次の「後半」です。 前回は、第一次天正伊賀の乱の「前半」でした。今回は、第一次の「後半」をお話したいと思います。 北畠信雄(のぶかつ)は、伊賀勢の底力を過小評価していたのは間違いないと思います。 以下、「後半」です。 信雄(のぶかつ)は、憤激し、血気にはやり、父 信長に相談もせず、翌、天正7年6月、配下の兵を3軍に分けて 伊勢から伊賀に押し寄せる。 伊賀への攻め口を北から順…

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天正伊賀の乱 第1次の前半

天正伊賀の乱について 第1次の前半 ふるさとの伊賀の人々が信長と対決した話を聴いてください。 天正伊賀の乱は、第一次と第二次の2回ありました。戦国時代の伊賀についてシリーズでお話しますので。 三重県伊賀市 下神戸(しもかんべ) 丸山へ鉄道で行く場合、近鉄伊賀神戸(かんべ)駅で「伊賀鉄道」に乗り換えて、 比土(ひど)駅、上林(うえばやし)駅、丸山駅へと行きます。丸山駅の東側に、丸山城跡の山がありま…