一体このタイトルは何だ。wakohの現状を露呈しているではないか。
かつては、wakohは相対的にはきちんとしている方だったろう。例えば、一日の過ごし方を、大まかには予め立てており、大体はそれに従った行動をしていたものだった。
だから、一日の行事は、その日の内に日記に少なくともメモくらいはしていたものだった。それが当たり前だった。
ところが、年老いてきたwakohはそれも出来なくなってきた。すること、なすことが遅い。しかも正確さを欠くようになってきた。
一寸したメモすら出来ずにいる。それが老化というものなのだろうか。
それでも未だ、いくばくかの
連載:クラシック