もう何日も経ってしまったが、2月21日(金)タイトルにあるように、歌劇『カルメン』を視また聴いた。オペラ演奏会形式の全3幕総てだった。東京フィルハーモニー交響楽団の、チョン・ミョンフン指揮による演奏だった。サントリー定期シリーズでだった。 カルメンは、全てのオペラの中でも、もっとも有名なものだろう。そのハイライトは、何度となく聴いてもいる。またCDなどでも聴いている。だが、その全曲を通して聴…
wakohは東京フィルハーモニー交響楽団の会員になって、何年になるだろうか。もう31,2年にはなるはずだ。最初は、新星日本交響楽団の年間会員になったのだった。未だ年間会員になるつもりはなくて、あるコンサートを偶々サントリーホールで聴いた時、思っていた以上にその演奏会がよく、かつまた年間会員になるとかなり割安になることも知り、それにN響の会員になどなかなかなりにくいであろうと思ったのがきっかけで、…
思い直して、Leicanonさんのアドヴァイスもあり、「自己開示ということ」という日記をWordに書いてから、それを「趣味人倶楽部」の日記に添付してみた。なるほど、これなら消えない。 そこで、もう一つの消えた日記「ベートーヴェン:交響曲第9番〈合唱付き〉を聴く」も試みてみようか。wakohに残されている僅かな時間をさらに削るほどの意味はないのだが。 それに音楽の場合には、時間が経てば経つほど、…
これから書かんとしていることは、多分かつて記したことがある部分があるのではなかろうか。 ただ、昨晩のアンサンブルofトウキョウ第133回定期演奏会『オーケストラ』を聴きに出掛けたので、それとの関連もあるので、もしダブった点があるところに気付かれた方も、どうぞご寛恕いただければ幸いである。 プログラムは次のとおり。 ・モーツァルト:交響曲 第27番 ト長調 ・モーツァルト:ヴァイオリン…
タイトルに掲げたコンサートは11月23日、東京芸術劇場コンサートホールでに行われたものだ。だからもう数日経ってしまっている。日記にその感想などを記すのは、適切ではなかろう。けれども、ほんの心覚えに、ごく簡単にどんな演奏会だったかを書き留めるくらいなら許されようか。 指揮は、トマーシュ・ネトピル。 チェコ期待の俊英という。読響には初登場だ。wakohが知らなかったのも無理はなかろう。シンフォニ…
日記にwakohが聴いた音楽会のことなど記しても、殆ど反応がないも同然になってきてしまった。もちろん、それはwakohの日記の質に問題があるのだろう。読む人が極めて少ないうえ、読んで下さっても、コメントする気にもならないようなものであろうからだ。それでもなお、wakohとしては、一応の記録として一言なりとも留めておこうとするものではある。 昨10月21日夜は、サントリーホールでの東フィル演奏会…
元気盛んな頃は、一日の内にすることも多かった。殊に勉学・研究などはやり出すと限がないので、夢中になることすらあったようだ。 ところが、年老いたwakohはすること、なすこと、動作は緩慢になるし、すぐに疲れて悲鳴を上げるようになってきた。 それでも今日8月24日には、種類・ジャンルを異にする3つのことを兎も角もこなすことが出来た。 まずは結婚式だった。教会の礼拝堂で挙げられる結婚式に、教会…
奇妙なタイトルが思い浮かんだ。wakohは、音楽を聴くのは好きだと言っている。それなら、聴きに行けばよいだろう。その上で、感想なり、評なりを記すならよい。何も行かなかった、聴かなかったコンサートのことなんぞ、仰々しく書くまでもないだろう。wakohはよほど書くネタにも困ってきているのか。そう思われたとしても、それはごく自然なことだろう。 だが、実はそうではない。wakohはスケジュールなどを書…
もう何度となく書いていることなのだが、日記はやはりその日のうちに書いてこそ生き生きとしたものになり得るのではなかろうか。かつてのwakohは記憶力に関する限り、かなり良い方だったかもしれない。けれども、歳とともにそういう能力も衰えてくる。経験している瞬間には鮮明であっても、時間が経つにつれて、鮮明でなくなってくる。茫漠としてくる。それもまたやむを得ぬ現実だ。 日記を書くという行為それ自体が、即…
4月24日、26日の2つの同窓会は、随分早くから決まっていた。また、昨4月27日の読売日響の土曜マチネーシリーズも、1年も前から決まっていた。いずれも楽しみにしていた。 だが、死は何時訪れるか、前以ては滅多に判らない。次第に衰弱していくこともあろうが、急に亡くなる場合もある。人には判らない。神様のみ旨でもあろうか。 いずれにせよ、直前の日記に記したように、友人、しかもwakohの帝京大学就職…
生きている限り、いろいろなことが起こってくる。型通りのこともあるけれど、思ってもいないこと、予想外の経験をすることの方がむしろ多い。 昨4月19日には、そんなことが相次いだ。直前の日記に記したように、今までは考えたこともなかったデイ・サービスを初めて見学したりもした。 そうして、その午後には、「地域包括支援センター」の介護福祉士の方が見えて、いろいろな資料を基に、契約を勧められもした。こんな…
一体このタイトルは何だ。wakohの現状を露呈しているではないか。 かつては、wakohは相対的にはきちんとしている方だったろう。例えば、一日の過ごし方を、大まかには予め立てており、大体はそれに従った行動をしていたものだった。 だから、一日の行事は、その日の内に日記に少なくともメモくらいはしていたものだった。それが当たり前だった。 ところが、年老いてきたwakohはそれも出来なくなってきた…
新年に入ってすぐ、1月12日(土)は読売日響の演奏会だった。そこでのメインの曲目は、リムスキー=コルサコフの交響組曲〈シェエラザード〉だった。そのことは、1月13日の日記「2種の藝術(絵画と音楽)との贅沢なはしご(1104)」に記したとおりである。若手の首席客員指揮者、山田和樹の端正な指揮にほれぼれとして聴き入ったことだった。 ところが、1月23日(水)東京フィルの第914回サントリー定期…