唐人踊り(その2)

昨日の日記に書いた牛頭(ごず)天王神社の春祭り。
江戸時代の朝鮮通信使を模倣して始まったと言われる。
しかし帽子は丸くて朝鮮らしいが衣装は中国服に見える。
歴史を調べて分かるのは高句麗の時代は中国東北部まで。
広大な面積を治めて居たので文化は中国と重なるのだろう。

高句麗が滅びても使者は続き幕府の将軍が代わる度に来た。
2~30年置きに来るわけだが当然異国の言葉も通じない。
勿論日本人だって町人や農民に読み書きできる人は少ない。
そんな中で文化を伝えようとしたらまずは身振り手振りだろうか。
面白い顔、奇妙な格好、珍しい音なら子供だろうが誰でも興味を持つ