父の想い出と異国の丘という歌

 先の日曜日は父の日だった、今もって父が臨終のときにうわごとのように言っていた家に帰りたいが忘れられない。
父は三人の娘がいて私がおなかにいた昭和18年10月に31歳で赤紙召集され、中支に送り込まれ2等兵で苦労したらしい。敗戦が決まって撤退するときに斥候(3人の偵察班)に選ばれた時には死を覚悟したそうです。ところが、予定の場所で後続の部隊を待ったが来ないので戻ってみるとパーロ軍に襲われて全滅しており荷物は持ち去られた後で逆に命拾いをしたそうです。
 その年の12月にはひどい黄疸にかかって何とか帰国したのですが、まだ残っていた陸軍病院にしばらく収容されてか