矢田挿雲ワールド「大正時代の江戸の史跡」① 家光に殉死した堀田正盛などが眠る現龍院

「江戸から東京へ」お化燈籠と殉職者の墓の項230Pには下記の一節がある。
「信濃坂の上の殉死者の墓の如く、あれどもなきが如く滅び行くものもある。古い木柵に傾いた木戸を押すと百坪ばかりの募瑩(ぼえい)があって、樅の木陰に離れ離れの卵石塔がおよそ十ばかりある。その最も大きく立派なのは堀田加賀守正盛の墓で、以下内田信濃守正信、三枝土佐守守恵、阿部対馬守重次と、家光の死に殉じた四人の墓が秋風に吹きさらされ、由縁の者以外誰一人邑う者もない」。

少々解釈する。信濃坂とはかつて上野公園にあった坂で現在4人の眠る現龍院墓地周辺である。卵石塔は丸く平たい自然石を数段重ね