江戸を大発展させた功労者「伊奈忠次・忠治」親子

豊臣秀吉が北条氏の小田原城攻めをした際、石垣山一夜城で徳川家康に「関東八ヶ国」を与えよう、と提案し、家康が承諾したのは有名な話である。秀吉の推測に反して家康は小田原の一支城に過ぎなかった江戸城に住むことを決心した。さすがの秀吉も唖然とした。

家康の住んでいた駿府にくらべると500年も遅れている低湿地、江戸の地ならしに指名されたのは伊奈忠次だった。忠次41歳。当時江戸城の北東、関屋(現在の足立区千住関屋町)に利根川の河口があった。彼は利根川が江戸へ入る前に東へ折ることを決断した。(現在の利根川は東京都をかすりもせず、埼玉県久喜市栗橋のあたりから東流して千