キリスト教では、
「信じれば救われる」といわれている。
キリスト教から離れてしまって、
この言葉が
条件付きの救いのように感じられて、
毛嫌いするきらいがあった。
しかし、
歎異抄や教行信証には、
やはり、キリスト教と同様に
「信じる」という言葉が出てくる。
キリスト教の「信じる」には
違和感を抱くのに、
親鸞のいう「信じる」は
なぜ違和感を抱かないのですか?
と言われそうだ。
振り返ると、
キリスト教はどうでも、
イエスもやはり
「信じる」という言葉を使っていたことが
思い出される。
そして、
アミダへ帰依した自分も、
確かに、信じる世界