ひさびさに夏を終わりの埼玉・長瀞の七草寺巡りに出かけた。秩父・長瀞は早秋、栗が柿が枝にたわわにぶら下がり、イガがわれ、茶色の栗が今にも落ちそうなそんな里の風景を眺めながらのお寺には秋の七草、萩や女郎花、桔梗、尾花などが咲く、神社があり仏教の寺が存在する日本の宗教、私たちは自然にしきたりに従い頭を下げ、柏手を打つ、それが日本人としての自然な姿である。 私たち日本人は、地上に生息するすべてに「…
信じるとは信じるのを捨てること というと 矛盾に聞こえるかもしれない。 キリスト教でも そのほかさまざまな宗教でも、 信じてなんぼの世界だ。 自分もキリスト教のときと同様に 阿弥陀さまを一生懸命に信じようとした。 しかし この姿勢はじつは 神でも阿弥陀でもよいが、 それらを信じてはいない姿勢と言っていい。 信じることがなぜ信じていないことになるのか? よくよく考えてみるとわかるが…
今日まで元気だった人が病気でなくなり 医者から死の宣告を受けた人が元気になり 誰もわからない未来の予想 あ^^^^^^^^^ また幼児虐待で3歳の子供が亡くなった なんで保護できなかったのか? と様々な批判を受ける行政機関 たしかに救われたであろう幼い子どもたちの多くは 母親と男達の性の因縁が元にある 訳ですね 〜〜〜〜〜〜〜〜 今 (親ガチャ)なる言葉を使う若者が多良…
自分もそうだが、 ほとんどすべての人は 自分可愛さという欲望を持っていて、 ここから生み出された自己流のやり方 ーーこれが''自力''や''はからい''である によって生きている。 自分の利益になるほうへ 物事を持っていこうとする魂胆、 私のように人を蹴落として 自分だけがいい思いをしたい、 いい気分になりたいという思い、 食い散らかし・・ そのやり方は 何十年にも及ぶ間に積み上げられ 練ら…
発言に注目が集まっている。 この映画は怪しい宗教を信じる両親に育てられた主人公の葛藤と成長の物語。 主人公の林ちひろを演じる芦田愛菜さんだが 、映画のテーマである「信じること」について質問され 「その人自身を信じているのではなく、 自分が理想とするその人の人物像に期待してしまっていること。 裏切られたというけれど、その人が裏切ったというわけではなく、 その人の見えなかった部分が見え…
男は力強くありたいとか、力のないヤツはダメなんだとか、そのような処世訓みたいな、飲み屋でオヤジたちが管巻くような言葉がある。べつに男といわなくてもいいけれどね。 しかし本当に大切な力は別のところにあると思っている。 おもに2つ。 ひとつめは、それは信じる力。 自分はこれをやると決めたら、グラグラしない。多少つらくても苦しくてもだ。 自分の決めたことを、ほんとうに必要なのだろうかとか、自分が間…
キリスト教では、 「信じれば救われる」といわれている。 キリスト教から離れてしまって、 この言葉が 条件付きの救いのように感じられて、 毛嫌いするきらいがあった。 しかし、 歎異抄や教行信証には、 やはり、キリスト教と同様に 「信じる」という言葉が出てくる。 キリスト教の「信じる」には 違和感を抱くのに、 親鸞のいう「信じる」は なぜ違和感を抱かないのですか? と言われそうだ。 振り返…
(自分の学びです***) 小川一乗さんの本3冊を この3,4日で何度も繰り返して読んだ。 そして、私は 他力本願について次のように捉えた。 阿弥陀の誓願を信じるなら、 浄土とか悟りの世界に 自動的に連れて行ってもらえる。 それはそうなのだが、 この内実を 私はえらく勘違いしていたことがわかった。 三段論法のようなのだけど、 勘違いの内容は次のようなことだ。 ☆誓願を信じれば、 悟りの…
今回の入院で思ったこと。。 人間った本当に愚かですね 健康で有る時は健康の感謝をしてるようで、 していない自分を発見 口では健康に感謝なんてえらっそうに いかにも悟ったかのように人の伝える 自分が恥ずかしい 【今の自分が一番幸せ、】 と云う事もつい忘れてしまいがちな強欲の塊を知る 夫、子供、そして縁あって周りに居られる仲間・・ 達に自分に沿わない言動にイライラし、、??また反…
酷い夏風邪&体の痛みで寝込んでいて 本を読むのもままならず、 ひたすらスマホのyoutubeで 浄土真宗のお坊さんたちの法話を聴いていた。 そのうちの一つ 真宗仏教センター所長本田弘之さんの法話に 私はひどく感銘を受けた。 全部を書きたいが 長く書いていられないので端折るが、 次の言葉が心に響いた。。 「本願の側が必ずや大涅槃を恵む」 と誓っている… 私たちはそれを信じるだけである。 …