直前の日記(1268)がまさにそうであったように、新年を迎えてから、2019年のwakohの生活を俯瞰して、回顧し、大晦日に及んだ。
出来ることなら、2019年の中にしてしまいたかったことではあるけれど、耄碌して、万事に動作の鈍くなってしまったwakohはその現実をも受け容れる以外にはない。
めでたいこと、喜ばしいこともある一方、悲しいこと、悔やまれることもある。それが人生ではあろう。
昨年3月の92歳の医師の兄の死去は、致し方ないこととは申せ、それでもなお肉親の死は悼まれてならない。だから、喪中という日本文化の伝統にしたがうのも、矢張り意味のあ