秤がある

私の中には
裁く自分と裁かれる自分がいると
まえの日記に書いたのだが、

裁くときには何らかの基準がある。
裁判官が秤を持っているようなもの。

裁判官の自分が持っている秤として
次のようなものが挙げられる。

常にトップでなければならない。
働いていなければならない。

というのが今のところ
強烈な秤として抱いているものだ。

何かの集団の中で、
トップ以外になるなら、
自分は価値がなくなるので、
はげしい嫉妬という形で抵抗する。

また、働いていないのはもちろん、
病気で動けなくなった自分には
価値がないと裁く。

カテゴリ:アート・文化