連載:倭人伝の真実に迫る

三国志の長短里混在の理由

3.4三国志での長短里混在理由と陳寿の仕掛け
 前回、短里の存在が証明されていること、三国志の中で長短里が混在している理由として半沢氏の「明帝の改暦」説を紹介した。さらに、この改暦説には明帝自身の言葉、「四千里彼方の征伐」の障壁があることを説明した。
 この障壁とは、洛陽から遼東(遼陽)までの距離が約1400kmで短里とすると18000里となって合わない。長里から短里に制度を変えたはずの明帝自身が長里を使った、となって矛盾する。一方、長里で見ても約3200里でこれもおかしい。読者に「何かおかしい」と思わせるところに「陳寿の仕掛け」がある。237年の明帝の