普通の感覚

 以前は自らの主張を正すのに、よく「常識」が根拠とされた。しかし、小林秀雄によれば、この言葉はトマス・ペインのcommon senseに邦訳の充てがいようもなく、それぞれ常と識が割り当てられて出来たもので日本古来の言葉ではないらしい。それに代わって、最近では「普通」が説得の手段として用いられることが多くなったようだ。普通という言葉を使って自らを正当とし、相手を不当として非難する。しかし、いずれも、「人間は万物の尺度」の範疇にあり、主張の根拠とするには希薄である。昨年、職場で「普通」を根拠としてのクレームを受けた。私からすれば、それはまったくの言いがかりだ