連載:倭人伝の真実に迫る

6.倭人伝の真実 邪馬台国へ至る道筋

最近、東大の白鳥庫吉氏の『倭女王 卑弥呼考』を読んだ。道筋について、陳寿が仕掛けた細かい部分を見落としているようであるし、「里の長さがおかしい!」と思いつつも短里を採用できなかったゆえに、中途半端な論考になっている。
 さて、魏志の237年から249年の記事に明確な長里はなかった。さらに、正始年間(240~249)の記録が基である東夷伝の韓伝までは短里であった。今回は東夷伝の最終条となる倭人伝の最大のハイライト、帯方郡から邪馬壹国(が正しい国名)へ至る道筋が短里(77m/里)で問題なく説明できることを確認しておく。ここでは、倭人伝の道筋を現代の地図で辿っ