熊谷時空散歩 ー麦秋と無為ー

コロナ禍で外出制限が恐る恐る解除されたとはいえ、それまで散歩以外で人と会うことも少なく、まして電車に乗るなどはなかったせいか、いたって腰が重くなっている。「無為」である。
「無為」・・・以前、それこそ眺めたにすぎない道元の「正法眼蔵」の中に「有(う)は時(じ)なり」とあり、解説を読んだら「「一切は時間のうえ、時間の中、時間そのものに掩われており、しかし時間というものはない」と。
何のことやら。どうも仏法の世界では無為と有為に二分されるそうで私たちの世界は有為だそうだ。それが「時」。そういえば「有為転変」なんて言葉を使うことがある。それに対して「無為」とは