連載:倭人伝の真実に迫る

20. 国境の狭い谷間を抜けると邪馬壹国であった

投馬国の南、水城のあたりを南に抜けると邪馬壹国である。安本美典氏が統計学で導いた朝倉地方でもある。水城は狭い谷間を塞いだ7世紀の防壁で幅が約1.2km。倭人伝当時はもっと狭かっただろう。「国境の狭い谷間をぬけると、邪馬壹国であった」と彼の作家だったら書いたかもしれない。
●南、邪馬壹国に至る、女王の都する所。水行十日、陸行一月
投馬国の南が邪馬壹国、つまり投馬国は邪馬壹国の北となり邦光史郎氏の課題が解決した。図のように邪馬壹国は自然の大環濠となる宝満川と筑後川に囲まれた地で黄色の枠線で囲った範囲である。私はここを両筑平野と呼ぶが投馬国の5万余戸を上回る7