小さな城下町、上州「小幡」見学記 ❸

今回は「織田宗家七代の墓」を投稿する。織田信長の長男、信忠は本能寺の変で信長共々自害している。二男が小幡藩実質初代の信雄だ。三男信孝は柴田勝家亡き後、豊臣秀吉と対立、結局滅ぼされた。

信雄は小牧・長久手の戦いで徳川家康に与力したが、単独で秀吉と和睦するなど、決して勇将、名将ではなかった。しかし大坂の陣での活躍が認められて家康から大和国宇陀郡、上野国甘楽郡などで5万石を与えられる。領地に風雅な庭園楽山園を造る一方、養蚕など産業育成にも力を注いだ。後に四男・信良に上野小幡藩2万石を分知して自らは京都で暮らした。

小幡の交差点から1時間弱ほど歩けば、左手奥