鳥取城

鳥取城は名城だ。中世から幕末までの石垣が残り、城郭の形状変遷がよくわかる。この城を有名にしたのは天正8年(1580年)の羽柴秀吉の攻城戦である。兵糧攻めの末城主、吉川経家は自刃と引換えに開場した。世にいう「鳥取の飢え殺し」である。

「廃城をゆく 第6巻」91p~92pは鳥取城である。解説文を要約する。
「鳥取城は山麓の山下の丸と山頂の山上ノ丸に別れている。山下ノ丸から急登30分を擁する。山下ノ丸には天球丸があり、ドーム状の石垣があり巻石垣と呼ばれるがこうした球面の石垣は他に例がない。天球丸の由来は江戸初期の城主池田長吉の姉の天球院に由来する。
また嘉永