煩悩が収束するのは

宗教に造詣深いお気に入りさんの日記に、
次のようなことが書かれていたことがある。

【宗教的な直覚、あるいは覚りというものは、
自分の状態を含めたこの世界そのものを、
直接つかむということです。
かの達磨大師が説いたように、
禅とは「直指人心、見性成仏」と表現されていて、
認識の中に認識主体の自分がいるのです。
哲学的な見地からは、これは矛盾していて、
認識されるものと認識する主体は、
主客対立していて別々に存在していなければなりません。

しかし宗教の世界では、
この認識論の議論は当てはまらなくて、
対立構造の中で認識対象を知覚するのでなく、
一気に全