知多半島の蜜柑

毎年今の時期になると、疎開先の愛知県の知多半島の友人から蜜柑を送ってきます。

ここ長野県の東信地域では気温が低くて「蜜柑」は育ちません。その代わりに「りんご」を送返します。

戦後、外貨がなかった時代に行ったバーター貿易です!大昔に行われた物々交換です。

平岩弓枝さんの「蜜柑」を読んでいたら、次のような物語が書かれていました;

江戸時代、蜜柑が脚光を浴びたのは、三代将軍家光の寛永年間に紀州滝川原村の藤兵衛という人が四百籠の蜜柑を江戸へ送ったところ、当時、出回っていた駿遠や上総のものより大きくて甘いと好評を博し、一籠半に一両の値が付いた。

....