天然痘と仏教がいっしょに入ってきた

日本に初めて新羅から仏教が入ってきたのは欽明天皇の時でした。
それ以来廃仏派と崇仏派とが鋭く対立して争いになります。
廃仏派を代表する物部氏と崇仏派を代表する蘇我氏との権力闘争です。
欽明天皇の次の敏達天皇の頃に新羅から天然痘が入ってきて騒動が拡大します。
廃仏派が仏教と天然痘とを一緒くたに考え、
天然痘は日本の神の仏教への怒りの表れだと主張したのです。
争いはどんどん拡大し戦争となります。
敏達天皇の次の用明天皇の子聖徳太子が出てきて
蘇我氏と協力し廃仏派を追い詰めます。
聖徳太子は戦争に勝つため戦の神の四天王を祀る四天王寺を建立します。
そして廃仏派