新彰義隊戦史から…❷やはり載っていた彰義隊に参加して散った明石藩士9名

彰義隊といえば、旗本・御家人の幕府関係者のイメージが強い。しかし全国の徳川恩顧の佐幕派諸藩から援軍を送り、特に江戸定府の士を中心に、脱藩して彰義隊に加わった人々がいたのを忘れてはならない。明石藩の例を下記に示す。

大冊新彰義隊戦史19pに下記の記事がある。原文を載せる。
「明石藩(兵庫県)十万石、家門、藩主松平直致。急先鋒の百江峰弥ほか30余名。松平の松と明石の石で松石隊。30名が脱藩し藩邸を脱出して彰義隊に合流。組頭は津田高文。守備は車坂門、のち清水門、谷中門、最後に黒門。敗走して藩邸に戻った。九名は上野戦争で戦死した者、敗走途中で力尽きた者を含む。