「本音がいいか建前がいいか」は問題ではない

昔からよくわからなかったことがある。

本音と建前についてだ。

子どもの頃
形や建前ばかり気にする親を見て、
建前で生きるなんて
なにかウソっぽい気がして、
自分はああにはならないぞと
思いながらいたのを覚えている。

本音で生きるのがいいこと

という思い込みを
そのときもってしまったかもしれない。

自分の生きずらさの原因が、この
建前ができないところから来るのではないか
と思ったりもしていた。

しかし、宗教を学んだり
感情からの解放がおきた今

本音で生きるのがいいか
建前で生きるのがいいか
は問題ではないということに気がついた。

ハッキリ言