連載:「日本国紀」㉜

百田尚樹氏著「日本国紀」を読んで ㉜応仁の乱とその影響

応仁の乱は応仁元年(1467年)山名宗全と細川勝元が覇権をめぐって京都を戦場に戦った乱を言う。乱の原因についての筆者の見解は次の通りだ。簡潔に記す。
❶8代将軍義政に男子がいなかったため、弟の義視を後継者に指名した。
❷義視は固辞したが、義政は例え私に男子が生まれても僧にするから、として義視を還俗させた。
❸ところが翌年義政に男子(後の義尚)が誕生する。母の日野富子(義政の妻)は自分の産んだ子を将軍にしようとして山名宗全に義尚の後ろ盾になってくれるよう依頼した。一方義視は管領だった細川勝元を頼った。
➍ここから山名VS細川の戦いになった。尚後に補佐役が入