名古屋弁物語 おうじょうこいた

 昭和四十年代、全国的に学生運動の気運が高まっていた。ここ名古屋でも地元の大学では、学内にバリケードを築いたり、煽動する手書きポスターが貼られたりして高揚感があった。
 誠司は、中学二年生だった。当時流行のグループサウンズに憧れてアコースティックのギターを買ってもらったが、今では部屋の片すみで埃をかぶっている。
「やっぱりエレキでないとほんとうの音は出んわ」なんて言っているが、実際にはコード進行ができなかった。音楽の成績が三以上とったことない頭には難しかった。

 最近の誠司の生態は、学校が終わると友だちのテツちゃんと近所の鶴舞公園に行くことだった