清和源氏の両雄 足利氏と新田の成立と子孫の盛衰

清和天皇を祖とする清和源氏は、京都の宮廷貴族ではなく、源経基の平将門や藤原純友の乱に参加し、源頼信は、平忠常の乱を鎮圧して 武将としてのブランドを高めていったと思われます。源頼義・義家は、前九年の役や後三年の役で清和源氏の棟梁としての地位を固めた。源義朝は、平治の乱で平清盛に破れたものの、15か国の武士団の棟梁になっていたのは、事実である。鎌倉幕府の骨格は、源義朝時代に出来上がっていたものと考えます。源義家の孫の新田義重と足利義康の兄弟は、仲良くしていたが、200年経つと足利尊氏・新田義貞に見られるように敵対するのである。足利氏は、棟梁が相続し、その他の