いのち(阿弥陀)が自分となって生きている
いのちが目の前の人となって生きている
いのちが木となって生きている
いのちが猫となって生きている
この世の中に存在している個別のものは
いのちが顕現したものだ。
もともと一つのいのちなのだから
こう言うことができるはずだ。
人が傷つけば自分も傷つき、
人が喜べば自分も喜ぶ。
どんなに小さな生き物でも殺されれば痛みを感じる。
その殺された命は自分なのだから。
自我や欲望が立ちはだかっているので
なかなかこういう感覚が
表に現れてこないのだが、
自分の奥底はつねにそう感じている。
私がやっている激