「いのち」の日記一覧

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死にたいと思いながらオニギリを食べている

安楽死を選択した50代日本人女性のyoutube動画をみた。 通訳としてヨーロッパと日本を行き来する仕事に 従事していたのだが、パーキンソン病を患い フランス人との婚約も破談に。 進行性の難病で症状はどんどん悪化していくことが 目に見えている。不快、痛みの人生、 それがたまらなく辛いという。 日本では安楽死が認められていないので スイスに渡り安楽死をすることを決心した。 仕事でいたスイス…

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「いのちが自分となって生きている」と腹の底からわかるなら

以前師匠からきいたこと。 私は宗教の門をたたく人は 苦しみや悩みがある人ばかりではないか と考えていたのだが、 そうではない人もいますとのことだった。 悩みがないのに宗教の門をたたく人、 道を求めるってどういうことなんだろう・・ 自分はもちろん悩み苦しみからの解決のために 宗教や道を求める類の方だ。 師匠が言われるには ブッダは何不自由なく暮らしていた。 自分の悩みなどなかったことだ…

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☝️今朝の空。

✋お早うございます。  3月11日(月) 午前6:23分🌄…👀、日の出📸✨撮影☝️ 本日の京都府 向日市の天気は 🌞晴れ時々曇り⛅ ※今の気温=0℃ ※最高気温=14℃・・・の予報 ☝️今日は何の日? 【いのちの日】 🏢))災害時医療を考える会が制定 2011(平成23年)3月11日に発生した 東日本大震災🏢))🌊で多くの命が失われた 命の尊さ、大切さを考え震災で学んだ事を 風化させる事なく災…

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愛情飢餓と怒りへの執着は表裏一体だった

以前に宗教の会で師匠から聞いたことなのだが、 嫉妬や人から嫌なことをされたときなど、 怒りが起きるのは凡人である我々には 仕方のないことである。 だからといって やりたい放題にしてよいということではない。 ものすごくすぐれた人がいて、 怒りなどまったく起きないということも もしかしたらあるかもしれないが、 そんな人は稀だ。 凡夫である私たちは怒りなどが起きるのはしかたない。 ある意味あた…

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正義の名のもとで

正義中毒という中野信子さんの文章を読み、そうなのだ、こういうことをはっきり書いていいんだと感じた。 なぜだろうか、その手の発言をしてこなかった自分のこれまでなのだが、その不行動をどこか恥じる気がする。文章を読んだのはかなり以前だが、なかなか受けた感銘を文字にすることができなかった。 正義中毒という表題からして想像ができるが、正義の名のもとで他の不義を非難中傷する行為が、ネット社会になって…

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元気に悲しんでいる

矛盾しているのだが・・・ 苦になるような感情や感覚が起きた時 「元気に」という枕詞がつくようになった。 きょうも、 先日のあのことで嫌な気持ちがするなあ・・ いや待てよ、このままいくと、 ああいう態度を取った相手を 嫌うようになってしまう などとグジグジと考えていた。 そのまま気にしていると 精神交互作用によって 固着がおきるような場面なのだが、 …

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手に感謝

円覚寺管長、横田南嶺さんのyoutube動画を よく視聴するのだが、 興味深いものがあったのでさっそく観てみた。 「手に感謝」 という題で 表題を見た瞬間、内容がどういうものか なんとなくわかったのだが、 ちょうど「至道は無難」の日記を 書いた直後だったので、より一層頷かされた。 神仏などに手を合わせることはあるけれど 手に感謝をする人は少ないと 横田さんはいわ…

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「いのちの中にいる」感覚

あの不思議な体験以来世界が変わった。 (その体験とは https://smcb.jp/diaries/9043233 https://smcb.jp/diaries/9043731 https://smcb.jp/diaries/9044018 です。) その大きなものは 「いのちの中にいる」 感覚だ。 以前も いのちが満ち満ちている などと言ったりするときがあ…

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旧統一教会の名前が報道されるたびに(3)

横浜教会支部で、入信を迫られたときに、いやこれじゃないと強く感じたことがらについて書きたいと思う。 あのときに受講したセミナーで、神を信じることができたならば、おそらく自分は入信したと思う。しかしながら神というものの理屈(理論)はわかったけれど、神の体験がなかったということになる。 ヘーゲル流に、人間存在や神について理路整然と述べ立てられても、それで人間は変わるものではない。頭の知識…

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コミュの仲間とのお別れ

とても残念で悲しく、そしてとても悔しい。 先日、趣味人クラブのコミュ仲間が、闘病の日々も虚しく旅立ってしまった。 いつも楽しく一緒にウォーキングし、お弁当を広げ、長い間には聞くともなしにお互いのいろんな側面も知ったりもして、親しくなっていったのに。 バーチャルな付き合いのはずのコミュでのウォーキングという、顔を合わせないと実現できないイベントで積み重ねた、気づけば長い年月だった。 …

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いのちって、なんだろう?

人間は、幾度となく大災害にみまわれて、生き延びた人が歴史を繫いできた。いまのコロナよりずっと昔、カミュの小説「ペスト」の材料にもなった14世紀のペストの大流行、当時4億5千万人の人口の20%を超える1億人が亡くなった。日本の江戸時代のコレラの流行、インドの風土病が世界中に広がったらしい。インフルエンザのスペイン風邪。疫病以外では大飢饉、歴的に大きな飢饉は、火山噴火による気候変動によるものが多い。…

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夜ぐっすりと眠れるようになった

自分が自分のものじゃない ということがわかってから すごく心が軽くなった。 人から嫌なことをいわれても、 老後不安におちいったときも、 病気になっても ーー小川一乗さんは たとえ''怒り''であっても と言われている ''自分とは関わり合いのない事'' と受け止めている。 ーーできない時もあるけど💦 無責任という言葉が当てはまるかもしれないが、 …

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''今ここ''に意識を向けるときにいのちに沿っているのではないか

体験は人それぞれなので、 どう語ってもいいんだなと思うようになった。 これまでは なにかセオリーのようなものがあって、 それから外れたことをいうのは 憚れるような心持でいたのだが、 その縛りが取れた。 これからは、体験から得た見識を 自由に語ろうということで、書くことにした。 前置きが長くなったが、 表題に書いたように、 ''今ここ''に意識を向けるときに、…

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生命が私を生きる

たまたま開いた大峯顕さんの 「科学技術時代と浄土の教え(下)」に 自分が考えることと同じ事柄が書かれていたので 載せてみる。 「生命が私を生きる」より。 【個体としてこの世に生まれてくるというのは 生命が新しい形式をとったということです。 それは個人の意思ではありません。私たちは皆、 個人の意思で生きていると思っていますが、 生きるというのは個人以上の出来事です。 大…

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個人の自分は死んでも死なない命

サッカーW杯決勝進出おめでとう🎊 感動をありがとう‼ 話を宗教へ・・ 大峯顕さんの「宗教の授業」の末尾に つぎのように結んであるのを読んで これだったんだ‼ と思った。 【宗教的信仰とは、 生命に対して個人が抱いている観念とか イデオロギーではない。そうではなく、 自我中心的な生の立場を捨てて、 個人の内にはたらいている 普遍的な生命そのものの要求…

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人間関係にしがみつかなくなったかも

哲学者の西谷啓治さんが、 虚無の絶望に沈んだ底で見い出した 「生そのものの純粋肯定」、或いは 「生そのものの生きる力」は 彼の自覚に上った時には 「自分は自分だ」 という形で現れたという。 もしかすると 意味合いが違うかもしれないが、 わたしもそういうものに近い感覚でいる。 自分の体、それを支えるいのちの世界。 いのちの世界にどっぷりと漬かっているような…

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行き詰まったときに自我の殻が破れて真実の世界が立ち現れる

自分や篤信の宗教者の体験を振り返ると、 自分で勝手に作り上げた思い込みなど 自分流の生き方 ーー自力というのかもしれない この生き方が行き詰まって にっちもさっちも行かなくなったとき、 自我の殻が破れて ありのままの真実の世界が立ち現れてくる と思われる。 私の場合ならそれが2度あった。 1度目は血管の体験だ。 自分には生きる価値がない という思い…