以前師匠からきいたこと。 私は宗教の門をたたく人は 苦しみや悩みがある人ばかりではないか と考えていたのだが、 そうではない人もいますとのことだった。 悩みがないのに宗教の門をたたく人、 道を求めるってどういうことなんだろう・・ 自分はもちろん悩み苦しみからの解決のために 宗教や道を求める類の方だ。 師匠が言われるには ブッダは何不自由なく暮らしていた。 自分の悩みなどなかったことだ…
以前に宗教の会で師匠から聞いたことなのだが、 嫉妬や人から嫌なことをされたときなど、 怒りが起きるのは凡人である我々には 仕方のないことである。 だからといって やりたい放題にしてよいということではない。 ものすごくすぐれた人がいて、 怒りなどまったく起きないということも もしかしたらあるかもしれないが、 そんな人は稀だ。 凡夫である私たちは怒りなどが起きるのはしかたない。 ある意味あた…
正義中毒という中野信子さんの文章を読み、そうなのだ、こういうことをはっきり書いていいんだと感じた。 なぜだろうか、その手の発言をしてこなかった自分のこれまでなのだが、その不行動をどこか恥じる気がする。文章を読んだのはかなり以前だが、なかなか受けた感銘を文字にすることができなかった。 正義中毒という表題からして想像ができるが、正義の名のもとで他の不義を非難中傷する行為が、ネット社会になって…
矛盾しているのだが・・・ 苦になるような感情や感覚が起きた時 「元気に」という枕詞がつくようになった。 きょうも、 先日のあのことで嫌な気持ちがするなあ・・ いや待てよ、このままいくと、 ああいう態度を取った相手を 嫌うようになってしまう などとグジグジと考えていた。 そのまま気にしていると 精神交互作用によって 固着がおきるような場面なのだが、 …
円覚寺管長、横田南嶺さんのyoutube動画を よく視聴するのだが、 興味深いものがあったのでさっそく観てみた。 「手に感謝」 という題で 表題を見た瞬間、内容がどういうものか なんとなくわかったのだが、 ちょうど「至道は無難」の日記を 書いた直後だったので、より一層頷かされた。 神仏などに手を合わせることはあるけれど 手に感謝をする人は少ないと 横田さんはいわ…
あの不思議な体験以来世界が変わった。 (その体験とは https://smcb.jp/diaries/9043233 https://smcb.jp/diaries/9043731 https://smcb.jp/diaries/9044018 です。) その大きなものは 「いのちの中にいる」 感覚だ。 以前も いのちが満ち満ちている などと言ったりするときがあ…
横浜教会支部で、入信を迫られたときに、いやこれじゃないと強く感じたことがらについて書きたいと思う。 あのときに受講したセミナーで、神を信じることができたならば、おそらく自分は入信したと思う。しかしながら神というものの理屈(理論)はわかったけれど、神の体験がなかったということになる。 ヘーゲル流に、人間存在や神について理路整然と述べ立てられても、それで人間は変わるものではない。頭の知識…
とても残念で悲しく、そしてとても悔しい。 先日、趣味人クラブのコミュ仲間が、闘病の日々も虚しく旅立ってしまった。 いつも楽しく一緒にウォーキングし、お弁当を広げ、長い間には聞くともなしにお互いのいろんな側面も知ったりもして、親しくなっていったのに。 バーチャルな付き合いのはずのコミュでのウォーキングという、顔を合わせないと実現できないイベントで積み重ねた、気づけば長い年月だった。 …
人間は、幾度となく大災害にみまわれて、生き延びた人が歴史を繫いできた。いまのコロナよりずっと昔、カミュの小説「ペスト」の材料にもなった14世紀のペストの大流行、当時4億5千万人の人口の20%を超える1億人が亡くなった。日本の江戸時代のコレラの流行、インドの風土病が世界中に広がったらしい。インフルエンザのスペイン風邪。疫病以外では大飢饉、歴的に大きな飢饉は、火山噴火による気候変動によるものが多い。…
自分が自分のものじゃない ということがわかってから すごく心が軽くなった。 人から嫌なことをいわれても、 老後不安におちいったときも、 病気になっても ーー小川一乗さんは たとえ''怒り''であっても と言われている ''自分とは関わり合いのない事'' と受け止めている。 ーーできない時もあるけど💦 無責任という言葉が当てはまるかもしれないが、 …
体験は人それぞれなので、 どう語ってもいいんだなと思うようになった。 これまでは なにかセオリーのようなものがあって、 それから外れたことをいうのは 憚れるような心持でいたのだが、 その縛りが取れた。 これからは、体験から得た見識を 自由に語ろうということで、書くことにした。 前置きが長くなったが、 表題に書いたように、 ''今ここ''に意識を向けるときに、…
たまたま開いた大峯顕さんの 「科学技術時代と浄土の教え(下)」に 自分が考えることと同じ事柄が書かれていたので 載せてみる。 「生命が私を生きる」より。 【個体としてこの世に生まれてくるというのは 生命が新しい形式をとったということです。 それは個人の意思ではありません。私たちは皆、 個人の意思で生きていると思っていますが、 生きるというのは個人以上の出来事です。 大…
サッカーW杯決勝進出おめでとう🎊 感動をありがとう‼ 話を宗教へ・・ 大峯顕さんの「宗教の授業」の末尾に つぎのように結んであるのを読んで これだったんだ‼ と思った。 【宗教的信仰とは、 生命に対して個人が抱いている観念とか イデオロギーではない。そうではなく、 自我中心的な生の立場を捨てて、 個人の内にはたらいている 普遍的な生命そのものの要求…
哲学者の西谷啓治さんが、 虚無の絶望に沈んだ底で見い出した 「生そのものの純粋肯定」、或いは 「生そのものの生きる力」は 彼の自覚に上った時には 「自分は自分だ」 という形で現れたという。 もしかすると 意味合いが違うかもしれないが、 わたしもそういうものに近い感覚でいる。 自分の体、それを支えるいのちの世界。 いのちの世界にどっぷりと漬かっているような…
自分や篤信の宗教者の体験を振り返ると、 自分で勝手に作り上げた思い込みなど 自分流の生き方 ーー自力というのかもしれない この生き方が行き詰まって にっちもさっちも行かなくなったとき、 自我の殻が破れて ありのままの真実の世界が立ち現れてくる と思われる。 私の場合ならそれが2度あった。 1度目は血管の体験だ。 自分には生きる価値がない という思い…