高村光太郎をどうしようもない孤独感から救ってくれたのが長沼智恵子の存在となり、大正3年から東京のアトリエで同棲としている。
今でいう夫婦別姓・半別居婚の自由な形の結婚生活でした。智恵子は長沼姓を名乗り、一年のうち数か月は実家の福島で過ごしていました。
結婚から十数年後の智恵子は、統合失調症の兆しが現れる。
あなたは僕を頼み
あなたは僕に生きる
それがすべてあなた自身を生かすことだ
*その舞台として、長沼家所有者林からの光景
あれが安達太良山
あの光かわが阿武隈川
*智恵子(S.13/52歳没)が亡くなる瞬間として
かなしく白くあかるい死