「高村光太郎」の日記一覧

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いい湯だな♨草津温泉ー智恵子を癒したー

今回は時間にゆとりある湯治、湯畑の周辺をぶらぶら歩いてみた。 その一つ、賽の河原の通りの裏通りで、白根神社へ登る急勾配の階段があった。 上を見上げると階段多く躊躇したが、運動のつもりで頑張った。 それは、階段の入り口に、「高村光太郎文学碑」の案内板に引かれたから。 高村光太郎も草津温泉へ・・・。なぜの疑問その答えを知りたかった。 光太郎については、この趣味人俱楽部の日記のテーマ…

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ブランデンブルクの日

今日 10月31日を俺はブランデンブルクの日と名付けている。 それは高村光太郎が10月31日に創った詩「ブランデンブルク」(写真−1)から。 まさに岩手の秋の光景を映している。 (ネットから参照) https://anowl.exblog.jp/21453038/ そして今 ブランデンブルク協奏曲第5番1楽章 https://youtu.be/AgdRrWATB7Y …

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テーマ・夏の思い出ー「智恵子のほんとの空だといふ」を見に行くー

それは、東北本線二本松にある。今は智恵子記念館・杜公園となっているところ、そして安達太良山へ。 いまから70年前になろうか、高校図書室で初めて目にした智恵子の切り絵、そして国語の教科書にあった高村光太郎の「道程」、また「智恵子抄」で光太郎と智恵子の「愛」にある感動を覚えた。 そんな感動を得た気持ちが、学生時代が終わり社会人になり数年、ふと思い出し、ある夏に、智恵子の「ほんとうの空だと…

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夫婦像を見る

 高村光太郎をどうしようもない孤独感から救ってくれたのが長沼智恵子の存在となり、大正3年から東京のアトリエで同棲としている。  今でいう夫婦別姓・半別居婚の自由な形の結婚生活でした。智恵子は長沼姓を名乗り、一年のうち数か月は実家の福島で過ごしていました。 結婚から十数年後の智恵子は、統合失調症の兆しが現れる。 あなたは僕を頼み あなたは僕に生きる それがすべてあなた自身を生かすことだ *…

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箱根で過ごした日々【その6】

書いている日記も六枚目に入りました。 先ず、ここでも添付写真の説明をしておきます。 左:高村光太郎 みちのく 右上:帰宅途中で食べたジョナサンでの食事 右下:  同上 さて、この日記は、どこまで続くのかが自分では分からずに書いているのです。

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箱根で過ごした日々【その5】

この日記も、5枚目に入ったと思います。 この日記に貼り付けたい添付写真を説明します。 添付写真 左:箱根彫刻の森に入ったところ 右上:何の像 ? 右下:高村光太郎 みちのく さて、この日記も全てが終わって次の日記に移りたいと思っています。

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「死ねば死にきり。自然は水際立っている」

吉本隆明さんが『老いの流儀』という著書のなかでつぎのように語っておられます。 〈 身体とそれに伴う精神の死について、僕のいちばん好きなことばがあります。それは高村光太郎の詩のなかにある『死ねば死にきり 自然は水際立っている』ということばです。死ねば死にきりで、自然は見事なものだと高村光太郎は言ってるわけでしょう。僕は、人間の心身の死はこれでいいのではないかと思っています。 〉 死ねば死にき…

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【 屹立する孤峰 …高村光太郎  ≪単調亭日記≫(90)】…天然生活( 其の259 )

高村光太郎 《 冬の詩 》より …… 何を措(お)いても生(いのち)を得よ、たった一つの生を得よ 他人よりも自分だ、社会よりも自己だ、外よりも内だ それを攻めろ、そして信じ切れ 孤独に深入りせよ 自然を忘れるな、自然をたのめ 自然に根ざした孤独はとりもなほさず万人に通ずる道だ 孤独を恐れるな、万人に、わからせようとするな、第二義に生きるな 根のない感激に耽(ふけ)る事を止めよ 素より衆人の口を無…