信じるとは信じるのを捨てること
というと
矛盾に聞こえるかもしれない。
キリスト教でも
そのほかさまざまな宗教でも、
信じてなんぼの世界だ。
自分もキリスト教のときと同様に
阿弥陀さまを一生懸命に信じようとした。
しかし
この姿勢はじつは
神でも阿弥陀でもよいが、
それらを信じてはいない姿勢と言っていい。
信じることがなぜ信じていないことになるのか?
よくよく考えてみるとわかるが、
信じる時だけ救われる
条件付きの救いになっているからだ。
自分の信じることが根拠となっている。
つまり自分を信じているということなのだ。
事実は
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