「旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて」を読む ❷皇族としての少年期

昭和13年(1938年)伏見宮博明王は学習院初等科に入学した。学習院は宮内省の外局として設置された官立(現代の国立)の学校で、皇族・華族の子弟の外、政財界の上流の子弟にも門戸が開かれていた。同学年には「殿下」が博明王のほか、賀陽宮家の文憲王、李王家の王世子李 玖がいた。院長は昭和14年9月まで海軍大将、野村吉三郎、昭和21年10月まで同じく海軍大将、山梨勝之進が務めた。

昭和15年から皇太子(現在の上皇)が通われた。学習院は皇族・華族が多かったので苗字は徳川・松平が多かった。2クラスで1クラス30名、先生がその中から10名程度を選んでご学友とした。この