高原リゾートとしての清里は・・・何処へ?

 70年代後半から80年代前半にかけて青春時代を過ごした私にとって、「清里」とは所謂「アンノン族」の聖地としてのイメージが強かった。パステルカラーのペンション、クレープに乳製品のデザート、そしてタレントショップ・・・、私にとっては、一言で言って「軽薄な観光地」と云う印象しかなかった。確かに、清里は同じ高原リゾートと言っても、外交官が開いた中禅寺湖畔、御用邸がある那須、宣教師が開いた軽井沢等とは違って、歴史は浅い。元々、ポール・ラッシュが開いた「清泉寮」は農業コミュニティであったし、その他の開拓地も小河内ダム建設に伴う1938年の水没者28戸62人の入植か