発足したばかりの東京大学教養学部を揺るがした、試験ボイコットによるレッド・パージ反対ストライキの齎した影響は甚大だった。
尤も、大多数のクレバーな学生は、変わり身も早かった。
何事もなかったかのように、また勉学していた。
けれども、wakohは違った。いわば全身全霊をもって、それに対処していた。大多数の学生とは異なって、そのストライキに決然として反対を貫き通したのだった。
そしてそれは自らの進路をも変えるようにさえなったのであった。
文一の学生の内の大多数が志望する法学部ではなく、戦後学制改革によって新設されたばかりの教育学部を志望するに至った
連載:wakohの交友から