「明治20年(1887)12月、島津久光が亡くなった。
政府はこれを受けて、久光を国葬をもって送った。」
「この国葬には反対する者もいたらしい。政府の要人でも何でもない久光を、国費をもって葬るのはいかがなものか、という批判があったのだろう。
久光の前に国葬が行われたのは、在職中に死亡した岩倉具視の一例があっただけでー」
「久光を国葬で送らなくてはならない恩義と後ろめたさがあったのだ。明治維新の最大の功臣の一人であった久光を、敬遠し続けてきた後ろめたさだった。」
『明治維新と神代三陵 ー廃仏毀釈・薩摩藩・国家神道ー』法藏館 窪 壮一朗著