俵 星 玄 蕃

日本人のほとんどは「忠臣蔵」と言う名前をご存じだと思います。

元禄年間の「12月14日」に、赤穂藩の大石倉之助以下、計47士で、主君の仇を討つため両国・本所松坂町の「吉良邸」に討ち入りをし、本懐を果たしてすべての隊士が切腹するという事件です。

簡単に歴史の内容を紐解きますと、、、1701年(元禄14年)、江戸城内の松の廊下に怒声が響き、赤穂藩の浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり、35歳)が、高家(こうけ)の吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ、61歳)に小刀で斬りつけた事が始まりです。

刃傷沙汰(にんじょうざた)を起こした